聖製作所の生き方

ご挨拶

創業者が弊社を創業したのは第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)ですが、当時 大砲や銃器の弾丸は外径の精度が悪く、日本兵が自らの兵器で障害を受ける事が多く、砲弾や銃弾を生産していた化薬会社の為に、当時、大日本化薬の原 安三郎社長からの  ご依頼で、我が国に無かった 砲弾や銃弾の限界ゲージを考案し、製作、それにより兵隊の傷害が著しく減少したことで、弊社の最初の仕事となりました。これが、昭和13年頃からの仕事でした。 第二次世界太戦時、三田にあった工場は米軍の焼夷弾で消失。  1943年(昭和18年)に大田区池上に工場を移転、聖製作所の名前で創業、1947年(昭和22年)株式会社に改組しました。

戦争後、出会ったのが品川区大崎に通信研究所を持っていた電電公社(現NTT)であり、 その通信研究所の所長さんから    電電公社は復興の為、研究開発するにも お金が無いので、治具や機械などの研究材料を助けてもらえないか?という依頼に  お応えして、お手伝いを始めました。

日本の戦前の電線は、電力だとゴム絶縁、通信は紙巻き、綿糸巻き絶縁のケーブルでした。これに対して、米軍の飛行機(B29)の墜落した残骸を調べると PVC絶縁電線が使用されており、今後の日本の電線はプラスチックに変わる! と、この通信研究所(通研)の所長さんは主張し、弊社の創業者とその弟にプラスチックの押出機を開発するように諭しました。
開発テストに使用する材料(PVC)は米軍にスクラップを分けて頂く他になく、米軍通いをしたと言います。

それによって、弊社は1949年(昭和24年) 国産・第1号PVC押出機を開発しました。
以降、弊社は世の中に無い物を創造することを使命と考え、技術開発に重点を置いて 企業運営をしております。

何故 ? 私が平成の世の中で、こんな昔話を持ち出したのか?
前述の話は、父であり、創業者である新田茂雄の話です。 しかし、日本の現状を考えた場合に、製造業者が利益(金)の為だけに、海外に物造りを移転することに、私は疑問を感じております。
日本が生きて行くに為には、日本で技術開発を行い、日本で製造しなければならない!
私は、物造り(ものづくり)は 優秀な仲間、日本人社員のいる 日本以外では考えられないと 信じ切っております。

因みに、弊社は前述の開発も致しましたが、その後、我が国で始めて開発した装置は
・PA用押出機 国産第一号機
・フッ素樹脂用押出機 国産第一号機
・2層被覆押出システム(ストライプ、二層押出) 国産第一号システム
・光ケーブル用押出機 世界第一号機
・内視鏡用2層グラデーション押出システム 世界第一号システム
等々を常に開発を続け、共同開発で 種々の新しい光ケーブル、電線、チューブの生産設備の開発を続けております。

弊社の技術部長は「世の中にある製品は弊社の技術で必ず出来る」これが商売。
但し、「問題は世界に無い物を作り上げる技術」
弊社は商売とは別に、ここに挑むことが仕事です。
我が国の物創造(ものづくり)の為に、技術開発を進めて参ります。

株式会社聖製作所
代表取締役 新田 豊